大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成8年(オ)220号 判決 1997年5月27日

上告人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

喜田村洋一

被上告人

株式会社スポーツニッポン新聞東京本社

右代表者代表取締役

森浩一

右訴訟代理人弁護士

小原健

朝比奈秀一

谷村正人

水上洋

田村公一

榎本哲也

吉澤雅子

竹谷裕

向井千景

山崎俊和

右訴訟復代理人弁護士

鳥居典子

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人喜田村洋一の上告理由について

一  本件は、被上告人の発行する新聞に掲載された記事が上告人の名誉を毀損するものであるとして、上告人が被上告人に対し損害賠償を請求するものであり、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告人の発行する「スポーツニッポン」紙の昭和五九年二月一五日付け紙面に、第一審判決別紙のとおりの記事(以下「本件記事」という。)が掲載された。本件記事は、「『甲野氏に保険金殺人の計画を持ち込まれた』あるサラリーマン、ショッキングな証言」等の見出しを付した六段抜きの記事である。その大要は、「社会的地位のある人」(「大手の会社に所属するサラリーマンAさん(四六)。本人の希望で特に名を秘す。」と記載されている。)が「確か四年ぐらい前」に上告人から保険金がらみの交換殺人の計画を持ち込まれたと「“証言”」しているというものであり、「Aさんは甲野氏からこう切り出された。――『あんたの奥さん、オレが殺すからあんたはオレの女房をやって保険金をガッポリいただくというのはどう?』」といった記事がある。

2  上告人は、本件記事が掲載された後、第三者に依頼して自分の妻を殺害しようとした二つの事件で起訴され、(1) 殺人未遂被告事件につき、昭和六二年八月七日に第一審で有罪判決を、平成六年六月二二日に控訴審で控訴棄却の判決を受け、(2) 殺人被告事件につき、同年三月三一日に第一審で有罪判決を受け、いずれも上訴中である。

二  原審は、右事実関係の下において、おおよそ次のように判示して、第一審判決のうち上告人の請求を一部認容した部分を取り消し、上告人の請求を棄却した。

1  本件記事が掲載された新聞が発行された当時、上告人の名誉がこれによりある程度毀損されたことは、認められないわけではない。

2  しかし、上告人が前記の有罪判決を受けている現在の時点では、上告人の名誉すなわち社会的評価は、有罪判決自体によって低下しているものというべきであり、遠い過去の新聞記事である本件記事が上告人の社会的評価に影響するところはほとんどない。また、刑事事件とは別に、民事訴訟において上告人が無罪であるかどうかを審理し裁判することは、刑事裁判制度の役割を否定することにつながりかねない。したがって、本件記事による上告人の社会的評価の低下につきその回復を図ることは、意味がないだけでなく有害であって、許されない。

3  上告人が本件記事により何らかの精神的苦痛を被ったとしても、それは、遠い過去の時点に上告人の名誉を傷つける記事があったことを認識したことによる不快感という程度のものであり、上告人が有罪判決を受けている現状の下では、上告人が本件記事を閲読したことにより賠償に値する精神的損害を被ったとはいえない。

三  しかしながら、原審の右判断のうち2及び3の点は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  不法行為の被侵害利益としての名誉(民法七一〇条、七二三条)とは、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価のことであり(最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁参照)、名誉毀損とは、この客観的な社会的評価を低下させる行為のことにほかならない。新聞記事による名誉毀損にあっては、これを掲載した新聞が発行され、読者がこれを閲読し得る状態になった時点で、右記事により事実を摘示された人の客観的な社会的評価が低下するのであるから、その人が当該記事の掲載を知ったかどうかにかかわらず、名誉毀損による損害はその時点で発生していることになる。被害者が損害を知ったことは、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効の起算点(同法七二四条)としての意味を有するにすぎないのである。

したがって、上告人は、本件記事の掲載された新聞が発行された時点で、これによる損害を被ったものというべきである。

2 新聞の発行によって名誉毀損による損害が生じた後に被害者が有罪判決を受けたとしても、これによって新聞発行の時点において被害者の客観的な社会的評価が低下したという事実自体に消長を来すわけではないから、被害者が有罪判決を受けたという事実は、これによって損害が消滅したものとして、既に生じている名誉毀損による損害賠償請求権を消滅させるものではない。このように解することが刑事裁判制度の役割を否定することにつながるものでないことは、いうまでもないところである。

ただし、当該記事が摘示した事実と有罪判決の理由とされた事実との間に同一性がある場合に、被害者が有罪判決を受けたという事実を、名誉毀損行為の違法性又は行為者の故意若しくは過失を否定するための事情として斟酌することができるかどうかは、別問題である。

また、名誉毀損による損害について加害者が被害者に支払うべき慰謝料の額は、事実審の口頭弁論終結時までに生じた諸般の事情を斟酌して裁判所が裁量によって算定するものであり、右諸般の事情には、被害者の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価が当該名誉毀損以外の理由によって更に低下したという事実も含まれるものであるから、名誉毀損による損害が生じた後に被害者が有罪判決を受けたという事実を斟酌して慰謝料の額を算定することが許される。

3  これを本件について見ると、本件記事が摘示した上告人に関する事実と上告人が受けた前記有罪判決の理由とされた事実とは、同種の事実であるということはできても、その間に同一性があるということはできない。したがって、本件記事が掲載された新聞の発行によって上告人の名誉が毀損された後に上告人が前記の有罪判決を受けたという事実は、これを慰謝料の額の算定要素として斟酌することは格別として、上告人の被った損害を消滅させるものではなく、本件記事による名誉毀損を理由とする上告人の被上告人に対する損害賠償請求権の成否を左右するものではないというべきである。

四  以上判示したところによれば、本件記事によりその当時上告人の名誉が毀損されたことを認めながら上告人の本件請求に理由がないとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。この点をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、原審において更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信 裁判官山口繁)

上告代理人喜田村洋一の上告理由

原判決には、法令解釈の誤り、ひいて理由不備の違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすべきことは明らかである。

一、原判決は、「名誉毀損を理由としてする民事訴訟の請求は、低下した名誉の回復を判決により求めるという名誉回復の請求と、名誉の低下により被った精神的な損害の賠償を求める請求とを含む」としたうえで、本件では、「名誉回復及び損害賠償のいずれの請求もこれを認容することのできない」とした。

二、名誉回復の請求について、原判決は、上告人の名誉が本件記事の発行によって毀損されたことは認めながら、本件記事の発行から一一年を経過した現在では、遠い過去の新聞記事の内容が一般国民の記憶にとどまっているとはいい難く、上告人の社会的評価はその後に生じたさまざまな事柄により影響を受けて形成されているところ、上告人に対しては有罪判決が下されているのであるから、上告人に対する社会的評価はこのような有罪判決が出されたこと自体によって低下したのであり、過去の新聞記事による社会的評価の低下を回復する裁判をすることは無意味であるとした。

さらに、上告人を有罪とする判決があり、それに対する上級裁判所の審理が行われている状況では、これとは別に上告人と被上告人との間の民事訴訟において上告人が無罪であるかどうかを審理し裁判することは、犯罪事実に対する裁判所の統一した判断を形成し、一般国民の評価認識の基準を明確ならしめるという刑事裁判制度の役割を否定することにつながりかねないから、このような無意味な請求のためにこのような審理判断をすることは相当ではないとした。

三、しかし、右のような認識は、名誉回復の請求について根本的に認識を誤ったものである。

まず、原判決が、本件記事の掲載から現在まで一一年を経過し、かつ、上告人の社会的評価はその後に生じたさまざまな事柄により影響を受けているから、過去の新聞記事による社会的評価の低下を回復する裁判をすることは無意味であるとしたのは、本件訴えは上告人の現在の社会的評価の回復を図るための訴訟であると理解したためである。

しかし、ある報道によって名誉が毀損されたときに、これに対する提訴は、判決時点における名誉の回復を図るものではなく、報道当時に対象者が有していた名誉の回復を図るものである。不法行為は、名誉毀損的な報道がなされた時点で終了したのであり、これによって社会的評価が低下したことに対する回復を求めるのが、裁判の目的であり、本件訴えも同様である。

報道がなされた後に、対象者にどのような事柄が生じるかは、報道機関とは何ら関わりがないことである。原判決が認めるとおり、本件報道によって上告人の名誉が毀損されたのであれば、これに対して損害賠償が認められなければならない。不法行為の後に生じた出来事によって加害者が免責されるようなことは、我が民法の知らないところである。民法は七二四条において、被害者が損害及び加害者を知らない場合には、不法行為の発生から二〇年間提訴しうるとしている。名誉毀損に対する損害賠償の請求が、提訴ないし判決時の救済であれば二〇年以上を隔てた後になって名誉を回復させることは殆ど不可能ということになろう。しかし、前記のとおり民法は、二〇年の期間内での提訴を認めているのであり、このことは、名誉毀損に対する提訴によって回復しようとしているのは、名誉毀損がなされた当時の社会的評価の低下の回復を図るものであることを明らかにしている。

これまでの判決も、全て右のような考え方に立つものであり、期間の経過とその途中の出来事によって、名誉回復を認めなかった判決例は、本件を除いては存在しないと思われる。たとえば、東京高裁第一民事部平成七年一一月二七日判決(平成七年(ネ)第一九二八号事件外・公刊集未登載)は、

「本件記事が一審被告の発行する道新スポーツないし北海道新聞に掲載された後長期間経過して一般国民の当該記事の記憶が薄れている状況があり、さらにその記事の中核部分である一審原告[本件の上告人]の犯罪の有無について、殺人及び殺人未遂罪で有罪判決がなされ、その上級審の審理が進められている状況に現在はあるとしても、本件訴訟はこれにより一審原告の現在の時点における社会的評価の低下の回復を図るものではなく、本件各記事の掲載された過去の時点において一審原告が有していた社会的評価の低下の回復を図るものであるから、本件各記事に対する一審原告の名誉毀損訴訟の提起がそれ自体不当なものであるということはできない」

と明言しているのであり、原判決のような考え方を明示的に排斥している。

したがって、原判決の右の判断が誤っていることは明白である。

四、次に、原判決が、上告人に対しては刑事裁判が係属中であるから、上告人と被上告人との間の民事訴訟において上告人が無罪であるかどうかを審理し裁判することは、刑事裁判制度の役割を否定することにつながりかねないとする点も全くの謬見という外はない。

そもそも、上告人が起訴された殺人・殺人未遂事件と本件記事が摘示する交換殺人の話とは全く別の犯罪である。前者の有罪無罪によって、後者の真偽が判定されるわけではないし、後者の真偽の判断が「上告人が無罪であるかどうかを審理し裁判すること」にならないことも明らかである。

要するに、原判決は、「殺人事件・殺人未遂事件の無罪」という、上告人が主張もしていない命題を勝手に想定し、そのような命題を確認するための審理や裁判は許されないとしたものであって、これは全くの誤りである。

さらに、議論を進める前提として、報道された内容が後に起訴された事件と同一であったとしても、刑事訴追された故をもって民事裁判を受けられなくなることはない。言うまでもなく、刑事裁判と民事裁判は、一方は法秩序の維持という公益的観点から提起されるものであり、他方は私的利害の調整のために提起されるものであって、両者はその意義も機能も異なる。刑事裁判が提起されたことによって、上告人が個人として有する社会的名声・評価の維持を求める提起が禁止されるいわれはない。原判決は、刑事裁判の存在を理由として民事裁判を拒絶したものであり、上告人に対し、裁判所において裁判を受ける権利を拒絶したものであるから、憲法三二条に違反するものといわなければならない。

このように、原判決は、刑事裁判の存在によって民事裁判を拒絶したが、これまでの判例は、先行する裁判の結果を事実上尊重するということはあっても、その裁判と矛盾する結果を生じるかもしれないことを理由として、後行の裁判所が審理できないとしたものは存在しないと思われる。原判決は、この点においても殆ど唯一のものとなっているのである。

五、したがって、名誉回復を求めることが許されないとした原判決の論理が、全ての点で誤っていることは明らかである。

六、次に、原判決は、上告人が本件記事によりなんらかの精神的苦痛を受けたとしても、それは本件記事による社会的評価の低下自体に直面してこれによって被った精神的苦痛ではなく、遠い過去の時点に上告人の名誉を傷つける記事があったことを認識したことによる不快感という程度のもので、一般の名誉毀損訴訟で主張される精神的損害とは著しく趣を異にするとした。そのうえで、精神的損害の賠償とはいえ、これを認容することは、名誉毀損の訴訟が名誉回復の請求を含んでなされるものであることからすると、本件記事と密接に関連する刑事事件について上告人を無罪としてその名誉を回復したものとの印象を世人に与えることは否みがたく、刑事事件について有罪判決が出されその上級審の審理がなされている現状のもとでは、これとは別に上告人と被上告人との間の民事訴訟において上告人が無罪であるかどうかを審理し裁判することが相当といえないとして、名誉の低下により被った精神的な損害の賠償を求める請求も成立しないと判断した。

七、しかし、これらの論拠についても、いずれも成立しえない。

まず、精神的苦痛の生じた時期が報道から相当の期間が経過した後であることから、上告人の苦痛が、一般の名誉毀損訴訟で主張される精神的損害とは著しく趣を異にし、単なる不快感であるとした点であるが、これが誤っていることは先程と同じく民法七二四条の規定を見ることで明らかである。民法は、被害者が損害及び加害者を知らない場合には、不法行為の発生から二〇年間提訴しうるとしているのでり、この場合には、精神的苦痛の生じた時期は報道から相当の期間(最長二〇年間)が経過した後であり、そのために、「遠い過去の時点に上告人の名誉を傷つける記事があったことを認識したことによる不快感」でしかないから請求が棄却されるということはないのである。

さらに、より根本的には、原判決は、名誉毀損訴訟における「精神的苦痛」の意味合いを全く理解していない。この言葉が、日常的な用語で使用される場合のように、ある人が主観的に味わう苦痛であるとするならば、このような主観を持たない幼児や精神障害者については慰謝料が認められないこととなるが、判例はこのような者についても慰謝料を認めるのが通例である。また、感情を持たない法人であっても、名誉権侵害による無形損害については民法七一〇条が適用されるとした先例(貴庁昭和三四年(オ)第九〇一号、同三九年一月二八日判決・集一八巻一号一三六頁)を見ても、精神的苦痛とは、主観的なものではなく、不法行為に対して損害賠償を認めるべき場合に、その根拠として伝統的に掲げられているに過ぎない。したがって、その内容も、個々人の具体的な事例において細かく検討して決定するというよりも、ある程度定型化されたものとなっていることは周知のとおりである。

したがって、本件においても、裁判所は、本件記事に上告人が初めて接したのがいつであり、その時点でどのように感じたはずであるかということではなく、本件記事が報道された時点で、通常人であればこの記事に触れてどのような感じを持つか、また、この記事が出たことによって社会的評価がどの程度低下するかを判断すればよいのであり、またそうすべきなのである。このような判断方法が通常の裁判所の行っているところであることも言うまでもないところである。

八、次に、精神的損害の賠償とはいえ、これを認容することは、名誉毀損の訴訟が名誉回復の請求を含んでなされるものであることからすると、本件記事と密接に関連する刑事事件について上告人を無罪としてその名誉を回復したものとの印象を世人に与えるとして、上告人の請求を棄却した点も、驚くべき暴論という外はない。

既に述べたとおり、本件記事の内容たる交換殺人の話と上告人が起訴された事件とは全く別物であり、「交換殺人の話は存在しなかったから名誉毀損が成立する」と判断することが、何故に「刑事事件について上告人を無罪としてその名誉を回復したものとの印象」を生み出すことになるのか、想像もつかない。

仮に、名誉毀損訴訟で上告人が勝訴することによってそのような印象が一般社会に生じるのであれば、上告人が数百件の訴訟を提起して、一〇〇回以上の勝訴判決を得ていることは公知の事実であるから、世人は、上告人は無罪となったとの誤解を強く抱いていることになるが、そのような状況になっていないことは明らかである。原判決の論理に従えば、名誉毀損訴訟で勝つことによって上告人は、無罪となって名誉を回復したとの印象を世人に持たれることとなるが、そうであれば、上告人は現在でも高い社会的評価を受けていることになり、名誉毀損に対する賠償を得られるはずである。しかし、原判決は、刑事の有罪判決によって上告人の社会的評価は低下したと認定しているのであって、原判決の論理が首尾一貫していないことは、これをとってみても明らかである。

九、したがって、名誉の低下により被った精神的な損害の賠償を求める請求も成立しないとした点についても、原判決の判断は誤りである。

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